ケータイ文化

ケータイ文化が世の中を便利にしたと同時に、想像力を無くしたーーテレビのバラエティ番組が、そんな事をやいのやいの言っていた。

昔を思い出してみる。

僕が携帯電話を持ったのは中3の冬だ。
僕は中3の夏、彼女がいた。

その子は携帯電話を持っていたが、上記の通りその頃僕は携帯が無かった。

さあ僕は彼女にどうやって電話をかけるか。

そういえば彼女がカゼで学校を休んだとき、どうやって彼女に電話をかけようかと授業中ずっと考えていたのを思い出した。

確かに色々なシチュエーションを想像(妄想)したなあ。

結論として僕は『最寄り駅の改札』を通って『駅のホーム』の電話機で彼女に電話をした。

家の電話は家族がいるから難しいし、公衆電話だと、地元の中学校で生徒会長をやっていた僕は誰かに見つかってしまうかもしれない。

そこで駅の改札を通るという行為が僕の想像力の中では『ばれない電話のやりかた』だった。

どう考えても穴ぼこだらけの計画だが、これがケータイ文化になる前の、アナログな恋愛だったんだろうな。

青いけど、自分すごい頑張ってたなって思った。