10年経って思うこと

10年前の16歳。
僕は高校にうまくなじめず、くすぶっていました。

逃げるように中学校の校長先生のところへ行き、『辛い』と相談をしました。

(校長先生は、僕が生徒会長だったときうまくいかなくて泣いてるときに何も言わずコーヒーを出してくれたイケメンです)
そんな先生に紹介されて始めたボランティア。
その中で色々なことを学びました。

ダウン症の子に『どこかで会ったことある?』なんて質問したら母親に『ダウンの子は顔が似るんですよ』なんて言われたのも覚えてます。

10年関わって僕の今の立ち位置は、『障害は濃淡』という視点です。

貧乏ゆすりは多動の残りと言われてます。
足をユサユサすることで気持ちを安定させてるわけですね。

僕は真面目な話をするときだけ眼鏡をかけますが、眼鏡をかけないといわゆる視覚障害者と同じ程度の視力です。
眼鏡という道具がなければ僕も視覚障害者です。


ADHDとか視覚障害者とか、そういう単語で子どもをくくると、支援しやすいかもしんないですが、どうしても『違う子』と考えがちになってしまいます。

違うんですよ。
支援が必要な子もあなたも同じなんです。

LDとか高機能自閉とか、難しい単語がついたって僕らと変わんない一人の子どもなんです。
程度の差こそあれ。

だから、支援の視点として障害名は使えることもあるかもしれませんが、『あの子は多動だから』とかいうのではなく、『自分もそんなとこあるわ』みたいな感じで、暖かく子ども達を見守っていく視点を大切にしてほしいな、と思います